サリバン先生が居なかったら・・・ヘレン・ケラーはいない・・・

今日は月初めの会社の会計整理をした。

午後三時ごろまでかかった。

以前より会計の出入りが簡単になって、早く出来るので苦にはならない。

見る・聞く・話す・書く・学ぶ夢に挑戦した生涯

ヘレン・ケラーの本は沢山ある。

孫のさらは、今まで五冊読んだ中で一番良いと言っていた。

半分はサリバン先生の素晴らしさが書いてある。

素晴らしい、文章の数々・・・

目も見えず・耳も聞こえず、言葉も話せず、闇と沈黙の世界に暮らしていたヘレン・ケラーが、夢の実現に向けて挑戦し続けた力づよい生涯を、ヘレンの残した希望に満ちた言葉でつづる。

     ※※※※※

ヘレンが7歳になる頃、サリバン先生がやって来た。先生も目が悪く、盲学校で教育を受けた人だった。

人形を見つけて喜ぶヘレンにサリバン先生は手のひらに「人形」とつづった。しかし、ヘレンは指文字を最初は遊びだと思っていた。

一ヵ月たったある日、サリバン先生はヘレンの手に井戸水をかけながら、もう一方の手のひらに、指文字で「水」とつづった。

指文字で、初めて物に名前があることを感じる

「この世界に言葉があることを知って、わたしの魂は目覚めました。光と希望とよろこびを得て、闇から解き放たれたのです。」

2,3年のうちに、ヘレンは数千語の言葉を覚えた。指文字で自分の思いを伝え、人と語り合えるようになった。

先生はヘレンに、まわりの世界を「見ること」、「聞くこと」を教えた。

「私たちは、目や耳で考えるわけではありません。考える力は、見える聞こえるとは別の能力なのです。」

点字で世界がさらに広がる

ヘレンが手と鼻とで見、聞き取ったもの全てに、それを表す豊かで美しい言葉があることを、先生は教えた。

「わたしの中のどんな才能も、ひらめきも、よろこびも、すべて先生の手からあふれ出る言葉によって、目覚めたのです。」

先生と出会って三ヵ月、ヘレンは字が書けるようになった。その時からヘレンは、日記をつけ、手紙を出し、書くことに夢中になった。

先生は指文字で本を読み聞かせた。だが、ヘレンは自分でも自由に本が読みたかった。先生はヘレンに点字を教えた。

「最初の頃、わたしは点字で書かれた本を2,3冊しか持っていませんでした。それらを繰り返しむさぼり読んだので、しまいには点字がすり減って、読めなくなってしまいました。」

指文字の通訳が要らないように、唇とのどの動きからことばを読み取る訓練を始め、猛練習のかいあって、ついに人の話を通訳なしに「聞ける」ようになり、しゃべる事にも挑戦し、どうにか、しゃべれるようになった。

唇と、喉の動きから言葉を読み取る訓練

「家族と話せるのだと思うと、やる気は火のように燃えあがり、懸命の努力をしました。お母さんが、私の口から出る言葉を聞いて、喜びに震えながら、抱きしめてくれた時のことを忘れることが出来ません。」

ヘレンは沢山の本を読み、大学に入学しました。サリバン先生はすべての授業を、指文字で伝えました。読まなければならない本はサリバン先生は毎日、5時間も指文字で読み聞かせました。

「医者が止めたのにもかかわらず、先生はわたしの勉強のために、病気の目を使い続けたのです。」

ヘレンはこれまでのことを本に書いた。しかし、自分では見えも聞こえもしないものを、どうして言葉に表せるのだろう?と、疑問を感じる人たちもいた。

そんな人々には、分かっていないのだ。花の香りに誘われたヘレンが、春の土の柔らかさを足元に感じながら、花房を頬に押し当て、堅い幹をだいて木に登り、ふりそそぐ花びらを日差しを顔に浴びて、満開のライラックを「見る」ということを。

ライラックの花を体いっぱいに感じるヘレン

「闇と沈黙の中で、わたしはひたすら想像力をはたらかせ、思考力をきたえてきました。肝心なのは、見える見えないではないのです。」

ヘレンは社会のあらゆる問題について深く考え、勇気をもって発言した。しかし、ヘレンに障害があるという理由で、発言を認めない人は多かった。だが、ヘレンは、自分にも意見をいう権利があると信じ、決してひるまなかった。

「確かに、わたしには、みすぼらしい住まいは見えません。でも、やせ細った子ども達に触れることはできました。わたしは、社会が今のままで良いとは思いません。少しでも良くしたいのです。」

感覚を研ぎ澄ますと、触れることで分かる

ヘレンは世界中を旅した。そして、目の不自由な人が自立するためには、何が必要なのかをたくさんの人に話をした。障害を持つ人々も、良い教育や職業が得られるべきだということを。

「障害とは、目が見えないことではありません。見えない人に対する見える人の態度こそが、障害なのです。」

49年もの間、サリバン先生はヘレンの傍らにいたが、ヘレンが56歳の時サリバン先生は亡くなった。

そして、87歳で亡くなるまでヘレンは世界中をめぐり、様々な人々に会って話をした。そして、はっきりと自分の意見を言い続けた。

「もちろん、わたしは自分の国を愛しています。でも、祖国へのわたしの愛は盲目ではありません。わたしが国の欠点によく気づくのは、それだけ深く国を愛しているからなのです。」

こんなに努力した人が他にいるだろうか・・・。

ヘレンの気持ちは察するに余り、その粘り強さは、尊敬するという言葉は軽すぎるように思う。 

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です