Contents |
1.𠮷田嘉謡社 創立八十五周年記念謡曲大会 |
2.大原御幸 あらすじ |
3.見どころ |
4.仲間が増えるといいな・・・ |
1.𠮷田嘉謡社 創立八十五周年記念謡曲大会
この記念すべき大会に、図らずも出演できることは、嬉しい。
毎年京都での秋の大会には福山教室は、皆で連吟で出演することになっているので、楽しみにしていた。
それがなんと、「大原御幸」の内侍でお役を頂き、最初は ≪ え? なんで? 私が・・・? ≫ と、ビックリで、喜びどころか、驚きでいっぱいでした。私にできるの? あまり、練習期間がないのに・・どうしよう?・・・断りたい・・・とか色々と悩みましたが、先輩方の、「 ひとつ、ひとつの経験が精進のもとだし、それも観世会館で出来るなんて・・・。やって良かった!と、絶対におもうから、がんばって~。」 と励ましを頂き、何とか前向きに切り替えて、≪ 頑張るぞ~ ≫ という気持ちになり、また、落ち着いてくると、≪ 有難いことだなあ ≫ に変わって来た。
それにしてもどんな内容かもわからないので、調べてみることにしました。
2.あらすじ
源平の戦いに決着がつき、平家一門が滅びた後のこと。平清盛の娘で安徳天皇の母、建礼門院(女院)は、壇之浦の戦いに敗れた時、海に身投げしたのですが、源氏の侍に引き上げられて命を長らえ、出世遁世(とんせい)して都の東北にある大原の寂光院に住み、一門の人々を弔い、仏に仕える日々を送っていました。
春がそろそろ終わり、夏を迎えようかという頃、建礼門院の夫、高倉天皇の父親である後白河法皇が、輿に乗って女院を訪ねます。その頃、女院はともに住む大納言の局(女院の弟、重衡の妻)と一緒に、仏前にお供えする樒(しきみ)の木や花、薪、蕨(蕨)などを取りに山に入っていました。
寂光院に着いた法皇の一行は、こちらも女院と共に住む阿波の内侍(後白河法皇の乳母)と会い、女院が出かけていることを知り、待っていました。そこへ女院と局が帰ってきます。こうして女院は、法皇と久々の対面を果たしました。女院が思いがけない訪問に有難い気持ちを述べると、法皇は、署員が六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界)を見たと言われているが、どういうわけか、と問いかけます。女院は、数奇な運命を辿って来た自分の身の上を語り、平家一門の最期と安徳天皇の入水を涙ながらに語りました。その後、名残り惜しくも別れの時が来て、法皇は輿に乗って都へ帰り、それを見送った女院は、庵室へ静かに入っていきました。
3.見どころ
能の大きな魅力の一つである、「語り」に焦点の当たる名作です。登場人物は多く、場面も良く変わりますが、全体的に流れるように淡々と進み、静かさが崩れるようなことはありません。一幅の名画、一巻の絵巻物のように評する人もあり、その静かな情景は極めて印象の深いものがあります。その情景に、磨き抜かれた「語り」が重ねられ、幾重にも景色が広がっていきます。
この素晴らしい「語り」で、今回、開曲される方のお仲間入りができるなんて、考えたら身が引き締まる。しっかりと務めようと思う。
4.仲間が増えるといいな・・・
まだ、お稽古は二回目なので先生についていくのが、一所懸命だけど、建礼門院の気持ちが入ってくるのが楽しみです。
私のお役は、内侍ですが・・・。
今日はお茶のお友達を、お稽古にお連れした。お謡いと茶道は関係が深く、お謡いの知識は大切だと分かって来た方だ。
振り返ってみると、中学生の時に、茶道に出会った。
畳の歩き方を先生が説明をしてくださるときに、能のすり足の説明を聞いた。それがすごく頭に残っている。
茶道よりも、能の幽玄の世界に憧れがあったように思う。やっと、二年前の春に、お友達に誘われて門を叩いた・・・。
六十の手習いとはこのことだ・・・。
新しい世界を見るのは新鮮で楽しいこと
言葉の語源が分かってきたり、茶道とお謡いの繋がりが分かってきたり、時代背景も同じころなので、だんだんと霧が晴れるように分かってくると、ホントに、嬉しい・・・。
この日本伝統の文化が今は危機にある・・・。
お稽古をしている人たちが高齢になっているからだ。若い人が増えないと、日本文化が伝わっていかない。
今日お連れしたお友達も、気になっていたけど、入門のキッカケが無かったみたいだ。一歩を踏み出すのが、勇気がいるのは分かる。私も同じように知らない世界に、馴染めるかどうか不安だった。
でも、最近はお稽古が楽しみになって来た。先生は素晴らしいお声だし、教室のお姉さまたちはゆったりとして、優しいし、なんでも聞けば教えて下さる雰囲気だ。
そして、すこし謡えるようにもなったからだろう。
きっとお友達も、入門されるに違いない。
先生がお元気な間は、頑張ろうと思っている。